36-Pitch Golden Gate 5.13a on El Cap Sent by Two Climbers(Gripped)
Two experienced big wall climbers took advantage of a good weather window and ticked a classic Valley big wall line
アメリカのエイドリアン・ヴァノーニ(22/Adrian Vanoni) とサム・ストロー(21/Sam Stroh) の大学生ペアが、ヨセミテ・エル・キャピタンの Golden Gate(36ピッチ/5.13a) を完登しました。この時期にフリーで登られるのはかなり珍しいです。
現在、エル・キャピタンではベルギーのシーべ・ヴァンヒー(Siebe Vanhee) とセブ・バース(Seb Berthe) のペアが Dawn Wall(32ピッチ/5.14d) にトライしており、エイドリアンらもその情報を知って、エル・キャピタンを登れるのではと思いトライしたそうです。
完全に厳冬期のトライですが、それでも昼間は暑いようで、核心ピッチは夜になってからトライしています。壁の中では 5泊 6日、グラウンドアップでの完登になります。
以下、サムのコメント。
1週間ほど前、エイドリアン・ヴァノーニと私はベンド(オレゴン州) のキッチンで話していたのですが、その時、シーべ・ヴァンヒーとセブ・バースがエル・キャピタンで Dawn Wall にトライしているのを知りました。彼らが Dawn Wall を登っているのなら、ヨセミテの天気は良いに違いないと冗談交じりに話していましたが、いつの間にか私たちは、Golden Gate に挑戦するためにどれだけ授業をサボれるかを検討していました。数日後、私たちは荷物をまとめて、南へ向かいました。-
ヨセミテに到着すると、気温は低く、道路は凍結しており、1週間学校を休んで11時間運転してきたことに疑問を持ちました。しかし翌朝、約9日分の食料と水を Heart ledges(11ピッチ目のテラス) に運び、クライミングを始めるまでの時間をカウントダウンしていました。
翌朝、Freeblast(Golden Gateの前半) を登り始めましたが、天気をチェックするのを忘れました。風速50マイル(22m) の突風に注意しないと、スラブから吹き飛ばされるかもしれませんでした。
それでも私たちはスラブを抜け、最初の夜を過ごした Hollow Flake のレッジに向かいました。花崗岩のクライミングは久しぶりだったので、2人とも初日の疲れを感じており、私はこの先の一週間が心配でした。
翌日の夜、エイドリアンがキャメロットの 6番(Monster Offwidth 唯一のプロテクション)を失ったため、サラテのバリエーションをエイドで上がって Alcove(20ピッチ目のテラス) にたどり着きました。結局、キャメロットの 6番がなかったために、2人とも Monster Offwidth はトップロープで登ることになりました。
Alcove でのんびり過ごしたあと、核心部の「Down Climb(5.12c)」のピッチを初めてトライしました。2人とも無理だろうと思っていましたが、数度のトライで私がこのピッチを成功させ、エイドリアンもすぐに続きました。
4つの核心ピッチのうちの 1つが登れたので、その日の夜は私たちは満足して寝ました。午前2時に目を覚ますと、寝袋は水びたしで、服はびしょびしょになっていたので、そんな幸せな気分は吹き飛びました。(壁を水が流れているのは見ませんでした)。
冷たくビショビショな夜が明けて、「The Move」のピッチの基部まで登り、ビバーク用具をセットしました。ハンギングビレイで寝たことはありませんでしたが、クールな体験で、多くを学びました。
その日の夕方、私は「The Move(5.13a)」をレッドポイントし、エイドリアンは指皮を保護するため、翌朝にそれをトライすることにしまにした。翌朝(滝の下で寝たのでびしょ濡れになった)エイドリアンは起きてすぐ靴を履き、私が濡れた寝袋から完全に出る前に The Move を完登しました。
その後、私たちは「The Tower to the People」に向かってどんどん登り、日が沈むのを待ちました。その晩、私達は「Golden Desert(5.12)」を登り、このルートを登りきることに対して楽観的になり始めました。あと1つだけ核心ピッチがあり、食料と水もたくさん持っていました。
翌日、私たちは The Tower to the People でレストし、景色を眺めました。太陽が沈むのを待って、A5トラバース(最後の核心5.13ピッチ) にトライしました。エイドリアンは 2回目にトラバースを成功させ(素晴らしい)、私は 3回目のトライで完登できました。トライの前に肩を痛め、もう一度トライできるかどうかは分かりませんでした。翌日、私達は頂上に続く「Razorblade」ピッチを登り、頂上にたどり着きました。
私達はやり遂げました。ゴールデンゲートをフリーで完登しました。2人ともこのルートをしばらく夢見ていたので、2人で一緒にルートを完登できたのは素晴らしい気分でした。
その夜、サラテルートを懸垂下降し、今はベンドに車で戻り、学生のふりを続けているところです。このような大きなルートを登ると自分自身について多くを学ぶことができ、次の春がもっと待ち遠しくなっています。いつも一緒に冒険を楽しんでいるヴァノーニに感謝します。また、次回!
ヨセミテに到着すると、気温は低く、道路は凍結しており、1週間学校を休んで11時間運転してきたことに疑問を持ちました。しかし翌朝、約9日分の食料と水を Heart ledges(11ピッチ目のテラス) に運び、クライミングを始めるまでの時間をカウントダウンしていました。
翌朝、Freeblast(Golden Gateの前半) を登り始めましたが、天気をチェックするのを忘れました。風速50マイル(22m) の突風に注意しないと、スラブから吹き飛ばされるかもしれませんでした。
それでも私たちはスラブを抜け、最初の夜を過ごした Hollow Flake のレッジに向かいました。花崗岩のクライミングは久しぶりだったので、2人とも初日の疲れを感じており、私はこの先の一週間が心配でした。
翌日の夜、エイドリアンがキャメロットの 6番(Monster Offwidth 唯一のプロテクション)を失ったため、サラテのバリエーションをエイドで上がって Alcove(20ピッチ目のテラス) にたどり着きました。結局、キャメロットの 6番がなかったために、2人とも Monster Offwidth はトップロープで登ることになりました。
Alcove でのんびり過ごしたあと、核心部の「Down Climb(5.12c)」のピッチを初めてトライしました。2人とも無理だろうと思っていましたが、数度のトライで私がこのピッチを成功させ、エイドリアンもすぐに続きました。
4つの核心ピッチのうちの 1つが登れたので、その日の夜は私たちは満足して寝ました。午前2時に目を覚ますと、寝袋は水びたしで、服はびしょびしょになっていたので、そんな幸せな気分は吹き飛びました。(壁を水が流れているのは見ませんでした)。
冷たくビショビショな夜が明けて、「The Move」のピッチの基部まで登り、ビバーク用具をセットしました。ハンギングビレイで寝たことはありませんでしたが、クールな体験で、多くを学びました。
その日の夕方、私は「The Move(5.13a)」をレッドポイントし、エイドリアンは指皮を保護するため、翌朝にそれをトライすることにしまにした。翌朝(滝の下で寝たのでびしょ濡れになった)エイドリアンは起きてすぐ靴を履き、私が濡れた寝袋から完全に出る前に The Move を完登しました。
その後、私たちは「The Tower to the People」に向かってどんどん登り、日が沈むのを待ちました。その晩、私達は「Golden Desert(5.12)」を登り、このルートを登りきることに対して楽観的になり始めました。あと1つだけ核心ピッチがあり、食料と水もたくさん持っていました。
翌日、私たちは The Tower to the People でレストし、景色を眺めました。太陽が沈むのを待って、A5トラバース(最後の核心5.13ピッチ) にトライしました。エイドリアンは 2回目にトラバースを成功させ(素晴らしい)、私は 3回目のトライで完登できました。トライの前に肩を痛め、もう一度トライできるかどうかは分かりませんでした。翌日、私達は頂上に続く「Razorblade」ピッチを登り、頂上にたどり着きました。
私達はやり遂げました。ゴールデンゲートをフリーで完登しました。2人ともこのルートをしばらく夢見ていたので、2人で一緒にルートを完登できたのは素晴らしい気分でした。
その夜、サラテルートを懸垂下降し、今はベンドに車で戻り、学生のふりを続けているところです。このような大きなルートを登ると自分自身について多くを学ぶことができ、次の春がもっと待ち遠しくなっています。いつも一緒に冒険を楽しんでいるヴァノーニに感謝します。また、次回!