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冬のK2に無酸素登頂したニーマル・プルジャのインタビュー

カテゴリー: アルパイン
Exclusive Interview: Nirmal "Nims" Purja on the First Winter Ascent of K2(Rock&Ice)
Nims told Rock and Ice in a Skype interview about the first winter ascent of K2, "It was for Nepal. We were trying to show the world that we could make the impossible possible."
先日、冬季 K2 に初めて登頂した 10人からなるネパールチームを率いて、無酸素登頂したニーマル・プルジャ(Nirmal Purja) のインタビュー。現在 37歳ですが、初めてアイゼンを履いたのが 30歳というのが驚きです。以下超訳。

- 登頂してから2週間近く経ちましたが、今の気持ちは? 実感が湧いてきましたか?

はい、一番大きいことは、今回の登頂の話に人々がどう反応したかだと思います。パキスタンでは暖かい歓迎を受けました。私たちは大統領にも会いましたし、陸軍の隊長にも会いました。パキスタンの人々は、私たちをとても高く評価してくれて、とても温かい歓迎を受けました。

そして、ネパールに着いてからは、空港で首相をはじめとする多くの人々に会いました。歴史的な瞬間でした。

でも、私たちはみんな幸せです。チーム全員が幸せです。

私たしはここまでのレベルのセレモニーがおこなわれるとは思っていませんでした。でも、誰もが誇りに思っているし、みんなが幸せだと思えます。

- 要約すると、ベースキャンプに着いたのはいつでしたか? また、いつ登頂しましたか?

1月21日にパキスタンのスカルドを出発して、ベースキャンプに到着したのはクリスマスの直後、12月26日だったと思います。そして登頂したのは 1月16日の午後4時45分です。

とても速かったです。次世代レベルの速さでした。チームメンバーの高所順応がしっかりできていれば、12日間で登頂できたと思います。最初の高所順応の後、チームの何人かは順応がうまく行ってなかったし、軽い凍傷になってしまったので、少し長めに休みを取りました。

- 今回の遠征に向けて、成功の可能性はどのくらいあったと思いますか?

100%。

私は 8000メートル峰への遠征を 20回以上してきましたが、そのすべてで登頂してきました。そのすべての遠征で、同じように、誰も怪我をせずに家に帰しています。だから今回も何も変わりません。

これが21回目の遠征でした。だから同じ様に怪我をしなかった遠征も21回目になります。このままでいたいと思っています。

- 予想よりも過酷な状況でしたか? それとも予想通りでしたか?

すべて予想はしていました。しかしながら、実際に現場ですべて経験するという意味では過酷でした。

- ベースキャンプはどんなスタイルのものでしたか?

通信用のテントがあり、カメラや機材も全てそこに入れていました。食事用のテントもありました。だから、私達はうまく設営できていました。大きな「マウンテン・ハードウェア」のようなブランドのテントはなく、単なる地元のテントでした。

- ベースキャンプから山頂まで、最終的な山頂へのアタックにはどのくらい時間がかかりましたか?

4日かかりました。1日目はベースキャンプから C2まで行きました。2日目は C2 から、C3手前のブラックピラミッドのすぐ下まで。翌日、C3に行きました。ここまでで3日間ですね。4日目は結構大変でした。

- 登頂した日の概要を教えてください。

夜中頃に起きて、装備の準備をしたり、お湯を沸かしました。そして、朝の2時頃に出発しました。少し風が強く、非常に寒かったです。

C3から直接山頂を目指しました。あまりの寒さに、チーム内には引き返そうと考えている人もいました。正直、大変でした。

私は高所順応のときに軽い凍傷になっていました。そして、私は酸素なしでやっていたので、仲間に着いていけるのか、リーダーとしてやっていけるのか、という不安もありました。しかし、みんなで頑張り続けました。

登頂したのはかなり遅く、その日の 5時15分です。

一番大きかったのは、山頂から10mほど手前で立ち止まったことです。私達はお互いに抱き合い、歌いながら頂上まで登りました。そして、それがこの遠征の中で最も感動的なところでした。泣いてる人もいました。そして全員が同時に頂上に立ちました。

それは強力なメッセージで、みんながそれを感じていました。

そして、午後11時頃に C3に戻りました。

私たちは世界最高のクライマーで構成されたチームだったので、ただひたすら突き進みました。ボットネックは完全なブルーアイスで、巨大なセラックがありました。しかし、今日は俺たちの日だ、今日は俺達の日だと思っていました。だから登り続けました。客観的な危険はどうしようもありません。主観的な危険については、自分たちのスキルレベルは認識しており、回避するためのリスクもわかっていました。

- ミンマGとチームをリードしていた時はどうでしたか? また、違う遠征隊からのメンバー構成で、チームの力学はどうなっていましたか?

最初に、私が K2 に行くと決めたのは遠征のわずか 2ヶ月前でした。

そして、最初に6人のチームで山に行ったときは、完全に自分のチームだけでした。私とミンマGが会ったのは C3 で、彼のチームがロープをフィックスするのを手伝いました。

私たちはネパールから来た同胞で、同じ目的、同じ目標を持っています。その目標は私たちのためではなく、ネパールのためでした。不可能を可能にできることを世界に示そうとしていました。だからチームを組んで「実現させよう」と言ったんです

- 誰か凍傷になった人はいましたか?

全員軽い凍傷になりましたが、重度の凍傷になった人はいませんでした。

- あなたは最初から無酸素で登るつもりだったのですか?

計画はありましたが、山行中に無酸素で行けるかどうかはわかりませんでした。私が順応できた一番高い場所は C2でした。そして、これまでの無酸素登頂の歴史を振り返ると、高所キャンプでは寝れないといけなかった。でも私にとっては、軽い凍傷の状態、完全には順応しないまま登らなければならないことで、それは難しい決断だったが、自分の体のことはわかっていたし、経験もあったので、無酸素で行きました。

- 山頂アタックの前の順応登山中も、山の中で酸素は全く使用していませんでしたか? フィックスロープを張るローテーションの時も?

はい、まったく使っていません。

- 今まで登ってきた他の8000m峰と比べて、どのくらい大変でしたか?

冬だし、自分にとっては、他のメンバーのペースに合わせて登っています。だから難しい。しかし、正直に言って、死ぬ気で登ったとか、超絶過酷な感じはしませんでした。大変でしたが、妥当でした。

- あなたは超人だとみんな知ってますが、どうやってクライミングを始めたのですか?

30歳までアイゼンをつけたことはありませんでした。プロのクライミングの世界に入ったのは 2019年3月です。その前は特殊部隊にいました。私が山の世界に入った理由は、10年間特殊部隊にいた時に、自分は無敵だと思っていたからです。でも、山に入ると、とても謙虚な気持ちにさせられます。そんな雰囲気が大好きです。

ネパールのコミュニティは8000m峰の最先端ですから、私たちの物語を続けるために、誰かがステップアップしなければならないと感じていました。

- あなたの軍人としての経験は、山の中で役に立ちましたか?

そうでもないですね。イギリスの特殊部隊は、山の世界とはまったく違います。もちろん、何でもできるような体にしないとだめです。8000m峰のピークではあなた以外の何者にもなれません。

- なぜあなたたちは、今まで誰もできなかったことを成功できたと思いますか?

私達は世界一のクライマーだからです。多くの人が『あなた達はラッキーでしたね』って言いいます。しかし、K2 などではまだ 60人以上のクライマーがトライしています。他の人は誰も登頂できていない。そして、多くの遠征隊がこれまでにトライしていました。このようなことを実現するには、最高の人材が必要になります。それが事実です。傲慢な言い方だと思わないでください、それが現実です。

私たちも自分たちでフィックスロープを張りました。多くの人が K2 の登頂者に名を連ねようとしていました。どの国もやろうとしていました。このような任務のためには、どんな些細なことでも重要になります。成功するためにはエリートが必要なのです。

一つだけ言っておきますが、K2に登頂したとき、チームの写真をネットにアップしたところ、批判やネガティブなメッセージを出したがる人がいました。そして、人々は私たちがしたことを取り上げて、「純粋ではない」、「それは酸素を使ったのと一緒だ」"と言いたがったのです。そういうネガティブな人たちに言いたいのことは、少しは冷静になったほうがいいということです。

全容を知らないのに、ソファーに座ったところからコメントしないでください。みんな何か言いたがり、だめな話にしようとしていました。私はチームやネパールについて語りたかったので、すぐに酸素を使ってない話はしたくありませんでした。みんな性急すぎでした。まずはみんなで祝いましょう。

たくさんの人がネパールに来ます。みんなシェルパを愛しています。私たちはとても心の温かい人たちです。だから、そういったコメントは良くなかったと思います。

もしもっと良い方法があると思うのでしたら、家の中から話をしないでください。こっちに来て、もっといい方法を教えてください。私の5歳の甥っ子は変なことを行ったりもします。ただ、内容は問題じゃありません。ちゃんと直接言ってくれれば尊重します。多分世界も同じでしょう。

前向きになりましょう! こんなネガティブなことばかり言うよりも、もっと賢くなって、協力的で、ポジティブにならないとだめですね。

- お祝いの言葉をもらった中で、一番よかった人は誰ですか?

正直言って、良かった人はたくさんいます。パキスタンの大統領にも会ったし、ネパールの首相にも会った。ウェールズ皇太子にも。

- 自宅に戻って最初に食べた食事は?

ネパール人はいつもダルバットに決まってます!

- あと数週間でマナスルに行くという噂がありますが、本当ですか?

いや 行きません。約束します! これは他の誰かがやることです。私が全部やる必要はない。とにかく、私の装備はまだパキスタンにあります。

- カラコルムとヒマラヤで取り組んでみたい 次の大きな挑戦は何ですか?

引き続き注目していてください。私たちはいつも皆さんを驚かせますよ。

- もっとテクニカルなクライミングに挑戦する可能性はありますか?

K2もテクニカルです。でも、エル・キャピタンのフリーソロはやりません。アレックス・オノルドにまかせます。

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