先日、以下のような記事を書きましたが、間違いがありましたので、この記事で修正したいと思います。失礼いたしました。
セロトーレのコンプレッサールート、フリー化される (雪山大好きっ娘。+)

Hyden and Jason
1/19 に セロ・トーレ(Cerro Torre) の南東稜にあるコンプレッサールート(Compressor Route) から登頂したハイデン・ケネディ(Hyden Kennedy) とジェイソン・クラーク(Jason Kruk) のペアが取ったラインは、コンプレッサールートのバリエーションで、"SE by fair means" というラインでした。彼らが使ったボルトは、ビレイ点を除くとわずかに 5本で、グレードは 5.11 A2。取付の肩から人工も交えたフリーで 13時間というスピード登攀でした。
問題になっているのは、彼らが下降しながら、既存のコンプレッサールートにあったボルトを抜いてしまったという行為です。1970年に、ガソリン仕様のコンプレッサーで派手にボルトを乱打したという開拓の仕方に問題があったとはいえ、そのままの状態にしておくという、地元の街で行なわれた議論の結論を覆した行為に当たるため、、勝手に抜いてもいいのかどうかといった議論が再度出ています。
David Lama

Facebook of David Lama
I can't believe it... For more than three years I was driven by the idea of freeclimbing the Compressor route on Cerro Torre and now this dream has become true!
そして、オーストリアのデビッド・ラマ(David Lama) は、Peter Ortner をパートナーに、3年前からトライしていたコンプレッサールートのオールフリーに成功しました。
近くの街である El Chalten を 1/19 に出発した彼らは、Nipo Nino で 1泊、翌 1/20 に取付きの 肩・Col de la Paciencia に上がって休憩した後、13時に登攀を開始。
実際のコンプレッサールートとは、多少ラインのずれはあるものの、落ちたピッチでは登り直すなどしてフリーにこだわり、1/20 はヘッドウォール直下の雪の中でビバーク。
1/21 にボルトを抜かれたコンプレッサールートを、ランナウトに耐えながらたどり、山頂直下からはルートとは別のクラックを使って登頂しています。セロ・トーレの南東稜がフリーで登られたのは今回が初めてとなります。
デビッドらは 3年前の最初のトライの時に、60本近いボルトを埋め、700m のフィックスロープを残置して問題になりました。この経緯はロクスノ #049 に掲載されています。
近くの街である El Chalten を 1/19 に出発した彼らは、Nipo Nino で 1泊、翌 1/20 に取付きの 肩・Col de la Paciencia に上がって休憩した後、13時に登攀を開始。
実際のコンプレッサールートとは、多少ラインのずれはあるものの、落ちたピッチでは登り直すなどしてフリーにこだわり、1/20 はヘッドウォール直下の雪の中でビバーク。
1/21 にボルトを抜かれたコンプレッサールートを、ランナウトに耐えながらたどり、山頂直下からはルートとは別のクラックを使って登頂しています。セロ・トーレの南東稜がフリーで登られたのは今回が初めてとなります。
デビッドらは 3年前の最初のトライの時に、60本近いボルトを埋め、700m のフィックスロープを残置して問題になりました。この経緯はロクスノ #049 に掲載されています。
余談ですが、現在、花谷泰広・横山勝丘の信大ペアが同エリアにツアー中で、彼らの今後の記録が楽しみです。
関連リンク
- Cerro Torre, Kennedy and Kruk and the Compressor route by fair means (Planetmountain)
おまけ
![]() MAMMUT/マムートのザック&バッグ/ザック30-50リットル/MAMMUT/... |